今日の読書の授業では、「おおきな木」という絵本を教材にしました。
名作ですのでご存じの方も多いと思いますが、この絵本は大人でも読み応えのある本ですよね。登場人物は「木」と「少年」のみで原題は『The Giving Tree』。
「木」はそれでも本当にしあわせなのか。
絵には色が全く無く、読後に感じる言葉にできないぼんやりとした気持ちや余韻は、大人でもきちんと表現するのは難しいように思います。
ルクステラの読書の授業では、主人公ではない登場人物の目線で物語をみるとどうなるか、という手法をよく取るのですが、この本を題材に使うと面白いのが、物語の主人公を「木」と捉える子、「少年」と捉える子に分かれることです。
大人でも子どもでも、現在進行形で今「少年」の心を持っている人は「少年」を主人公に、少し大人びた成熟した心を持つ子どもや大人、特に女性は「木」を主人公に考えるケースが多いように思います。
私は大人で且つ女性なので、当然「木」を主人公と捉えて最初に授業の指導案を作ったのですが、「少年」を主人公だと思う子が案外いることに気づき、主人公ではないほうの登場人物の目線で物語をみるとどうなるか、という問いに対しても、双方の立場に立つ子ども達の様々な感想を見ることができ、改めて本の奥深さを感じました。
考えてみると、何度も読み返したくなる本って、読む年齢により感じることが違ったりしますよね。
私は太宰治の「人間失格」を10代の頃に読んだときは主人公に共感し、主人公の目線で物語の中を泳ぎましたが、20代で読んだときは主人公が出会う女性たちのほうに共感し、同じ物語を別の目線で見たときにこんなにも変わるもんなんだなぁ~と、不思議な気持ちを持ったのを覚えています。
授業の中でオリジナルの本の帯を作成するために、キーとなるフレーズを探したり作ったりするのですが、この絵本についての下の二つの帯、似ているようで全く違うことにお気づきでしょうか?
どちらの子も物語の中の印象的なフレーズを選んで書いているのですが、一人の子は「それで木はしあわせでした」、もう一人は「少年はその木が大好きでした」です。
本当に面白く奥深いなと感じます。
この絵本のあとがきに訳者の村上春樹さんも書いていらっしゃいますが、言葉ではうまく説明できないものごとが人の心を本当に強く打つんだから、もやもやとした気持ちを表現できなくてもOKだと思います。
むしろ、その感情をなんとかうまく表現できるようにするために、言葉の語彙を増やしたり文章力を伸ばすことが大切だと自分で認識できるのかもしれませんね。
これからも子ども達にとってそんな良いきっかけになるような本との出会いと気づきを、少しでもお手伝いできればと思います!
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