「子ども達それぞれが、よりよく生きていくために必要な力を身につける。そのための学びを提供する」
ルクステラのモットーとしている言葉です。
子ども達を教えていると、大げさかもしれませんが誤解を恐れずに言うと、ヘレンケラーのサリバン先生のような気持ちになることがたまにあります。
我慢強く、大人になったその子にとって、きっと大切になるであろう力が何かを想像し、自分が嫌われる事も厭わず子どもと正面から向き合って教え、成長に寄り添ってサポートする。
子どもは基本的に面倒くさい事や自分が得意ではない事、面白くない事は、やろうとはしません。しかし、できない事や面倒な事を全くやらないで良い、とは思いません。
今後彼らが大人になって、好きや得意を活かした仕事に就いたとしても、好きだけでは先に進めない壁や、大切だけど面倒な事にぶつかる場面が必ず出てくると思います。
その時に、嫌だから、できないからと言って、せっかくのチャンスを棒に振ってほしくはありません。
その壁を乗り越えるには、好きの力だけではなく、できないことをできるようになったこれまでの成功体験や、面倒くさくてもやり切った経験が必要となってくると思います。
昨今の教育は、多様性や個性を重視する方向に舵を大きく切っています。
その子の得意なことや好きなことを伸ばし、嫌なことや苦手なことは個性として受け止めて、自己肯定感を高めて自分で決められる能力を育てる。
ルクステラでも、その子の凸凹を見て、デコを伸ばしボコを補う働きかけを行なっているので、それは基本的に大賛成です。
しかし一方で、苦手なことは避けていい、嫌なことからは逃げてもいい、とは必ずしも思いません。
好きなことや楽なことだけに偏らないバランスの大切さも、同時に忘れてはいけないのでは、と思っています。
以前美術の先生とお話ししていた際、とても印象深い言葉がありました。
アートは国語や数学などの主要科目、また英語やプログラミングなどの今後生き抜く上で必要になる科目と違い、正直ほとんどの子にとって、生きていく上で絶対に必要となるツールではない。
ではなぜ図工や美術を義務教育でやるのか?
得意や苦手、好き嫌いに関わらず、言葉以外で表現する経験と、作り上げる段階で身につけた表現力や感受性が、どんな子にとっても必ずその後の生き抜く力となる。
この言葉はもうかなり前に聞いたのですが、いまだに鮮明に、とても納得できたのを覚えています。
例えばルクステラでは、現在ディスグラフィアの傾向のある小学生と文字の書き取りの練習を進めています。
彼は小学校高学年ですが、文字がまだうまく書けません。いまだに鏡文字や逆さ文字になったりもします。
でも本の朗読は得意です。
とても気持ちを込めて情緒豊かに、むしろ他の子よりも上手に読むことができます。
そのような特性のある子の書き取りについては、学校でも早い段階で、ノートでの書き取りではなくパソコンやタブレットを使っての授業参加に切り替えてもらった方が良い、という意見も多いかと思います。
もちろん、その方が本人がストレスなく授業内容について行けるのなら、私も賛成です。
加えて大人になった未来には、パソコンやスマホなどのデバイスもますます進化し、文字を書くという機会は今以上に無くなるのかもしれません。
でもそれでも、文字を手で書くという事についても、やはり並行して取り組んでいった方が良いと私は思います。
やった頑張りは、偏らないバランス感覚や生き抜く力になって今後必ず活きてくる、と確信できるからです。
彼も毎回、得意ではない事をやる大変さに不満をこぼしながらも、決してもうやりたくない、とは言いません。
成長に伴い、大人に対する不信感や反抗期もガッツリ関わってきますが😅
そばにいる大人は結局は、ただ伴走し本人を応援する事しかできないので、叱ったりなだめたり、お互い文句も言い合いながら、寄り添い日々成長を感じていければと思います。
お父さんお母さん、先生方を始め、子どもの成長に尽力している大人の皆さん、
未来にきっとお返しが返ってきますよ👍
お互い頑張りましょうね!
先日のこどもの日に、東京スカイツリーの麓の川でやっていた「こいのぼりフェスティバル」に行ってきました!
「鯉」は逆境や苦難を乗り越えて立身出世する縁起物🐟
昔から子ども達に、人生で遭遇する難関を鯉のように自分の力で突破してほしい!という願いが込められているんだなぁ、と実感しました😊
※現在、保護者の皆さま、教育業に従事している皆さまのカウンセリングも実施しています。初回無料ですのでお気軽にお問合せ下さい。お問い合わせはこちら